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1804年のはじめ頃に完成。12月にロプコヴィッツ侯爵邸で初演が行われた。一般公開初演は翌1805年の4月7日、アン・デア・ウィーン劇場において、ベートーヴェン自身の指揮のもと行われた。
交響曲第1番・第2番は、ハイドン・モーツァルトの交響曲の延長線上にある作品だが、この第3番では、そこから卒業し、ベートーヴェン独自の交響曲観を打ちたてている。今までの交響曲は、20分から30分といった長さのものが主流だった。それが、この3番では、ほぼ倍の長さとなっている。交響曲が高級品になったと同時に、後世の短気な我々をクラシック音楽から遠ざける働きもした。そんなことはないか。
当初は、フランスの英雄ナポレオンに献呈するために書かれていた。ベートーヴェンの暮らすウィーンのオーストリアとフランスは、敵対していた。フランスは敵国だが、ベートーヴェンは、貴族嫌いで、庶民出身のナポレオンには親近感を持っていた。また、ベートーヴェンは英雄好きだった。
楽譜にもこのようなことを書き込んでいた。しかし、ナポレオンが皇帝の座に着くと、「何だ、ナポレオンもその程度の男だったか。権力欲に目がくらみよって」(この言葉は私の想像)、と言って献呈をやめてしまった。楽譜草稿の表紙に、ナポレオンの名の「ポナパルテ」が書かれていたのだが、その部分を穴が開くほど、ペンで塗りつぶしている。
第1楽章は、"Allegro con brio「アレグロ・コン・ブリオ」"。"con"は「〜とともに」英語の"with"、"brio"は「活気」とか「元気」。「元気良く、生き生きと」。空を飛んでいるような気分を味わえるところがある。
第2楽章は、「葬送行進曲」。多分聞いたことがあると思う。
第3楽章は、「スケルツォ」。遊び心を持った曲調である。スケルツォ楽章は、ベートーヴェンが始めた。それ以前は、メヌエットという舞曲の楽章であった。メヌエットは、フランスのルイ14世の宮廷でも盛んに演奏された。
第4楽章は、変奏曲形式。ソナタ形式にこだわる保守層からは、非難を受けた。新しいことは、常に批判にさらされるものだ。
人生、まだまだ。これからだ。英雄になれる。そう信じさせてくれ。
鯉のやう さつきの空を 飛ばまほし |
たつく |
(季語:さつき) |
© May 5th, 2003 たつく
聴いた録音のデータ | ||
オーケストラ | コロンビア交響楽団 | The Columbia Symphony Orchestra |
指揮 | ブルーノ・ワルター | Bruno Walter |
時期と場所 | 1958年1月 | ハリウッド |
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